日本人の目立ちたくない精神は命取り

日本人の控えめなところは美徳と言われる。日本文化の理解できるレベルん人には控えめな日本人は存在感あるけど、インターネット時代の世界基準で言うと、もう時代の変化についていけないところが多分にある。日本人も時と場合では自分に意見をはっきり言う必要があると思う。

日本に住んでいると、出しゃばらないで控えめな方が良識ある人みたいな雰囲気があるけど、インターネットで世界中とリアルでつながっている現代では目立ちたくないは命取りだと思う。

日本人は以心伝心とかいって言葉を口に出さなくても、相手の表情などから相手の心中を察してあげられる文化がある。このことは確かにすごいことだと思うけど、世界的に見たら逆に「この人なに考えてるの?」で無視されてしまうだろう。日本から出国するたびに外国人が自分の意思を必死な感じでまくしたてている風景に頻繁に出くわすけど、世界基準はこれなんだと感じる。

それでは「目立つ」とはどういうことかと考えてみると、多数の中から個体として認識されることではないかと思う。農場で野菜を育てていると同じように生育している姿が理想かもしれない。野菜の場合は個々の野菜で違いがあるというよりできるだけ同じ品質の方が好ましいから、多数が生育している状態を良しとしている。動物でも家畜の場合は野菜と同じで、同じような個体が多数ある方が好ましいとなる。

ところが人間は野菜でも家畜でもない。野菜人間でよければ問題ないし、家畜人間でよければ多数と同じでかまわない。でもそれでは食べられる存在でしかなくなってくる。人間らしく生きていくためにはその他多数ではいけないのだ。多数の中から個体として認識されるように注力していかなければ知らず知らずの間にその他多数に同化してしまう。それでは個体として認識されるにはどうすればよいかというと、よく言われているけど自分の考えを発信し続けるしかないと思う。これって火星探索に向けて宇宙を飛行している宇宙船が通信を途絶えたら宇宙雨のゴミとなるのと似ている。常に情報発信していなければ宇宙ゴミと同じということは存在していないのと同じ。僕ら人間だって同じこと言える。インターネット時代なんだから多数から認識されるため情報発信は欠かせない。

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日本人の目立ちたくない精神は命取り

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